今日は待降節第3主日です。待降節第3主日は、昔から来るべき救い主を待ち望む「喜びの主日」と呼ばれています。入祭唱や集会祈願、第1朗読のイザヤ書には、喜びという言葉がたくさんでてきます。第ニ朗読の使徒パウロの「フィリッピの教会への手紙」には、「みなさん主において常に喜びなさい。主はすぐ近くにおられます。」という言葉が出てきます。昔、わたしが滝川教会にいたころ、聖堂には誰かが墨で描いてくれたこの言葉が貼られていました。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい」と書かれていたように思います。喜んでいる幸せな人がいれば、その幸せは周りの人に広まっていきます。反対に不機嫌な暗い人がいれば、その周りに暗い雰囲気が広がります。最近発売になった鈴木秀子シスターの『なにがあっても、まあいいか』という本の帯に、『毎日を機嫌よく生きるヒント』が五つ書かれていました。その中には、1.人の悩みの90パーセントは些細なこと。2.年を取ったら自分本位に生きてOK。3.ユーモアの精神を忘れない。4.「ありがとう」と一言口にするだけでいい。5.いつも機嫌よくいることは、高齢者にできる社会貢献。わたしは昔このシスターの本を読んでから、幸せを感じることができるように、毎晩眠りにつく前に、その日、一日にあった嬉しかったことを探すようにしています。マイナスや失敗ではなく、プラスのこと、親切にしてもらったこと、人の笑顔や嬉しかったこと、美味しく食べることができたことなどです。平凡な特に何もなかった日であっても嬉しいことはたくさん見つかります。日中に何か嬉しいことがあったら、これは夜もう一度思い出そうと考えます。そして、感謝のうちに眠りにつくと、心の中にだんだん幸せが溜まってきた感じがしてきます。反面マイナスや出来なかったことはあまり考えないので、だんだん能天気なオヤジになってきている気がしています。でも自分が幸せでなければ人に幸せを伝えることが難しいように思います。福音も神様のことも、喜びがいっぱいある人が伝えていけるものだと思います。最後にわたしは、常に喜ぶこととともに、たえず祈ることも大切なことだと思います。すべてのことは神さまからいただいていることだからです。祈りがあって、車のエンジンの力が動力に繋がり、雪道であってもしっかりと走ることができるのです。幸せになるために「幸せになる心の土台」を作っておかなければなりません。それは心の中で三つの絆を育てなければなりません。一つ目は「自分との絆」。二つ目は「他人との絆」。そして三つ目は「自分を超える大きな力との絆」。この三つがしっかりと育まれれば、幸せの土台はおのずと築かれます。一つ目の「自分との絆」とはほかならぬ自分自身との絆です。これは「自分は自分でいい」と考えることです。二つ目の「他人との絆」とは、一人ひとりの個性を認めるということです。三つめの「自分を超える大きな力との絆」とは人間の中にある、大いなる存在を感じることです。自然を賛美する。当たり前のことに感謝する。それは祈りを捧げることです。祈りとは、神さまの愛を受け止め、みずから愛をお返しすることです。神さまにお願いすることだけが祈りではありません。日々に感謝する本当の祈りができるようになりたいと思います。*(O)


なにがあっても、まぁいいか
樋口 恵子 (著), 鈴木 秀子 (著)(ビジネス社)

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