教会典礼暦の年間最後の3つの主日(年間32、33主日と王であるキリストの祭日)は「終末主日」と呼ばれます。聖書朗読は、世の終わりの救いの完成に目を向ける内容になっています。来週の日曜日は年間最後の主日「王であるキリスト」の祭日になり、12月からは待降節になります。今日の典礼は、世の終わりの救いの完成に目を向けさせます。イエスはこの世には終わりがあること、そしてその時はいつ来るのかは天の父だけが知っておられると言いました。初代のキリスト者は自分たちの生きている間にそれが来ると思っていました。いつかわからないけど世の終わりはきます。わたしたちが使徒信条で宣言しているように、大きな苦悩と苦難の期間の後、イエスは「生者と死者を裁くために」来られます。わたしたちは、世の終わりといわれても、遠い先のことのように思っています。この世の事には素早く反応するのに世の終わりや自分の魂のことにはのんびり構えています。先日、旭川で鳥インフルエンザで大量のニワトリが殺処分されました。そうすると、たまごが値上がりするかもしれないと不安になります。9月には全国的に米不足になりお米の値段が上がりました。世の中の動きには敏感に反応していても、自分の救いについてはのんびり構えています。「あの人はもうお年だから長いことない」と予測するのに。自分はまだまだ元気でいれると思っています。世界での紛争や災害、地球環境の不安などで心配するより、自分の救いを考えることが大切だと思います。毎日確実にわたしたちの残り時間が減ってきています。神さまのところに行く日が近づいています。老いは持っていたものを手放していくことです。生まれてから獲得してきたものをひとつずつ手放していくことです。イエスはこの世の終わりが来ることとご自分の再臨があることをはっきり述べています。そして「大地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」と言われています。イエズス会の宣教師、ヘルマン・ホイヴェルス神父様の著書の中に「最上のわざ」という詩があります。この詩はホイヴェルス神父さんがドイツの友人から贈られた詩だそうです。とてもいい詩です。自分が神の前に出る日が近づいていることを考えながら聞いてみてください。

 『最上のわざ』
 この世の最上のわざは何?楽しい心で年をとり、働きたいけれども休み、しゃべりたいけれども黙り、失望しそうなときに希望し、従順に、平静に、おのれの十字架をになう。若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること。老いの重荷は神の賜物、古びた心に、これで最後のみがきをかける。まことのふるさとへ行くために。おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事。こうして何もできなくなれば、それを謙虚に承諾するのだ。神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ。手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と
(「人生の秋に」ヘルマン・ホイヴェルス著/春秋社)*(O)


ホイヴェルス随想選集「人生の秋に」
ヘルマン・ホイヴェルス著(春秋社)

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