10月に入りました。二ヶ月めくりのカレンダーは最後の一枚になってしまいました。教会の典礼は年間の最後の主日に近づいてきています。今日の福音は、イエスが十字架に向かう歩みの中で、神が本来何を望んでおられるかを明らかにしていかれる箇所です。当時の宗教の指導者たちは、離婚は男性の方から離縁状を書くだけで簡単にできると教えていました。イエスは結婚という結びつきは人間によるものはなく、「神が合わせられたもの」で、人が解くことを聖書が禁じている。と教えました。このようなやり取りは当時の指導者たちの反感を買いました。

 今日は10月の最初の日曜日です。カトリック教会は5月を聖母月、10月をロザリオの月と定めています。10月号の「毎日のミサ」という雑誌に、福岡教区の櫻井尚明という神父さんが『豚のロザリオ』という面白い記事を書かれていました。カナダのノートル・ダム・ドュ・キャップ(岬の聖母)という巡礼地の話です。この地に19世紀半ばに主任司祭が着任し、1856年のクリスマスのミサには三人の信徒しかミサに来なかったそうです。1867年の聖母被昇天祭の前に、ゆるしの秘跡のために司祭が待機していても誰もきませんでした。がっかりして司祭が祈るため教会堂に入ると、一頭の豚が祭壇脇の聖母像の前で、ロザリオをくちゃくちゃと噛んでいました。この光景に主任司祭は「信者たちがロザリオを捨てたので、とうとう豚がそのロザリオを食べている」と嘆きました。そしてまず自分がロザリオの祈りに励み、小教区の人々にもその豊かさを熱心に伝え始めました。その結果、数年後には300人を超える人々がロザリオ信心会のメンバーになり、聖堂に入りきれない人々がミサに来るようになり、新しい教会堂建設に際しては不思議な出来事に助けられています。この小教区はロザリオで息を吹き返しました。このような話でした。

 先日わたしは教皇ヨハネ・パウロ2世の使徒的書簡「おとめマリアのロザリオ」という本に何度か名前が挙げられている福者バルトロ・ロンゴのことを思い出して調べました。この人は(パソコンで検索できる方は調べてみてください)1980年にヨハネ・パウロ2世により「ロザリオの使徒」として列福されています。彼は1841年にイタリア南部に生まれ、学生時代に信仰を捨てていましたが、ロザリオに出会い人生が変わり、1876年からポンペイにロザリオの聖母の教会堂を建て始め、1938年に「ポンペイのロザリオの元后大聖堂」が完成しました。1906年、バルトロはその教会をバチカンに捧げ、教皇直轄大聖堂となりました。今年の5月に教皇フランシスコは、ポンペイの聖母巡礼聖堂の創立者、福者バルトロ・ロンゴが、同聖堂を平和のために捧げたいと望んだことを思い起こされ、ウクライナのために祈るように願われていました。ロザリオは簡単でやさしい、身軽な祈りです。重いものと思わないでください。

 ロザリオの祈りを皆さんの生活の中に入れてください。わたしたちが自分の健康のために、食事や睡眠を大切にするように、信仰生活のために、ロザリオの祈りを自分の生活の中に組み込んでください。毎日を落ち着いて充実して過ごすために、あらかじめ自分の過ごし方を決めておくとことが大切です。そうすることで、自分の中心軸をしっかりさせて、ぶれない生活ができるようになります。ぜひロザリオを自分の生活の中に置いてください。お願いします。*(O)


『毎日のミサ』2024年10月号
カトリック中央協議会


『使徒的書簡 おとめマリアのロザリオ』
カトリック中央協議会

 

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〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
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