今日の福音の箇所はイエスが二回目の受難の予告をした後に、弟子たちがそのことを理解できずに、誰がいちばん偉いかと議論しあっていたことが書かれています。わたしは最近、パワハラやおねだり疑惑で話題になっている兵庫県の斎藤知事のことを思い出しました。彼は、東大を卒業して総務省の官僚になり、その後兵庫県の知事になったようですが、人間としてまったく成長していなかったみたいです。先日、ミサの第一朗読に、コリントの教会への手紙が朗読された日がありました。そこには「知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げます。」(1コリント8.1))というパウロの言葉がありました。わたしは斎藤元彦という知事はまったくもって知識だけの愛が欠けた寂しい人のように思いました。イエスの弟子たちは、彼と行動を共にしていても、まだまだ不完全で、イエスの受難の話しを聞いてもまだ、自分たちの中で誰がいちばん偉いかと議論していました。彼らがイエスが本当に偉大だったことに気づくのは、もっともっと後のことです。弟子の中で最も長生きしたヨハネは、晩年書いたヨハネの手紙の中で、愛のことばかり書いています。「わたしたちが愛を悟ったのは、イエスがわたしたちのために命を捨ててくださったからです。‥‥子たちよ、言葉や口先だけでなく、行いをもって誠実に愛し合いましょう。(1ヨハネ3.16-18)
最近、わたしはフランス革命という人々の心が荒廃していたたいへんな時代に、人々の心に神の愛を灯そうと考え、“愛の革命”のために生涯を捧げ「聖心会」という教育修道会を創立した聖マグダレナ・ソフィア・バラ(1779年~1865年)の伝記を読みました。彼女は「謙遜におなりなさい。天国に行く梯子はこの一段が欠けると、天国には届きません」と言っています。また、『イエスのみ心を知り、愛することをよく教え込み、自分の家庭や周囲の人々に伝えさせなければなりません。“天国に一人で行ってはならない。他の人たちを連れて行かなければならない”ということをおぼえこむように、気をつけてください』という言葉を残しています。(『愛の使徒〜聖マグダレナ・ソフィア・バラ』より)
今日、わたしは皆さんが、この聖人の「天国に一人で行ってはならない、他の人たちを連れて行かなければならない」という言葉を覚えて帰ってほしいと思っています。自分ひとりがなんとか天国に入れてもらえればいいのではなく、夫婦、親子、家族や親戚一同で、また仲よかった人や知り合いも、みんなに神さまを伝えて天国をめざしましょう。
今日の福音のまとめとして、イエスは人の上に立ちたい者は、人に支える者になりなさい。そして小さな子どもに代表される弱い立場の人を受け入れる人は、わたしを受け入れる人であると言っておられます。人の上に立つ立場にある人はみな、上から目線になっていないかを気をつけましょう。*(Na)
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〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
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