今年の日曜日の福音朗読は、B年なので、マルコ福音書が中心に朗読されています。

 マルコ福音書はA年のマタイ福音書やC年のルカ福音書よりも短いため、今週から年間第21主日までの間はヨハネ福音書6章からの聖体(いのちのパン)についての朗読が入ります。ヨハネ福音書の6章に、わたしは思い出があります。わたしは高校3年生の時に洗礼を受けましたが、洗礼を受ける準備としてドイツ人の神父さまから、ヨハネ福音書の6章を読んでおきなさいと言われました。今日の朗読箇所にはイエスの「いつまでもなくならずに、永遠の命に至らせる食べ物のために、働きなさい。」という言葉があります。わたしが司祭になりたいと思った時に、なぜそんなことを思いついたのか説明ができませんでした。しかし、その何日か後には、「どうせ人は死んでしまうけど、せめて生きている間は神様が喜ぶ生き方をしたい。だから司祭になりたい」と理由を言えたのです。

 いま、わたしは高齢者ばかりの施設に入所して生活しています。年をとると暑さや寒さに鈍くなるのか、凄く暑い日にもほとんどの入居者は寒いと言って長袖を着ています。

 そして一日中何もすることなく、食堂で過ごしています。いつも食堂にいる人は食べることしかすることがないのかと思ってしまいます。みんなボーッとして座っているのを見ると寂しくなります。(もうじきお迎えが来るのだから、今のうちにやっておくことが何かあるでしょう。)と余計な心配をしてしまいます。

 今はパリ・オリンピックの期間中なので、どうしてもオリンピック関連の番組を観てしまいます。日本時間の夜中に優勝がわかる競技も多いです。わたしは朝がたテレビを観ていたりして生活が乱れてきました。後でニュースを見ればわかるのに、オリンピックに縛られている自分を考えると、一日中何もすることなく食堂にいる人たちとたいして違わないと思えてきました。イエスはパンを増やした奇跡の後で、人々がしるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからまた集まってきたので、朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい、と話されました。そして自分は「命のパン」である。わたしのもとに来る者は決して飢えることがない。と言われます。8月中の日曜日の福音はヨハネの6章から、聖体についての話しです。8月はカトリック平和旬間があります。戦争や平和のこと、お盆が来るので亡くなった人々のことを考えることが多くなります。わたしはいま手元に教皇ヨハネ・パウロ二世の「教会に命を与える聖体」という回勅を持っているので、その大切な部分を8月の説教中に話していこうと思っています。今回はオリンピックボケの頭なので、上手く頭が働かないので来週からの予告編だけにしておきます。聖体の素晴らしさについての、教皇さまの回勅を楽しみにしてください。*(Ka)

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〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
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