イエスは弟子たちと休息を取るために、人里離れた寂しいところに行きましたが、多くの人々が、彼らが船で出ていくのを見て、彼らよりも早く徒歩で駆けつけていました。イエスは舟から上られると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始めた。

 [あわれみの心]
 イエスは弟子たちと休息を取るために人里離れた場所に移動したにもかかわらず、人々への憐れみの心から、群衆に教え始められました。イエスのあわれみの心について記されている箇所はほかにもたくさんあります。イエスは重い皮膚病の人に手を伸ばして触れ彼を癒します(マルコ1.41)。またナインの町のやもめの一人息子を生き返らせたのも、イエスのあわれみの心からでした(ルカ7.13)。病気の人を「深くあわれんだ」という言葉と母親をみて「かわいそうに思った」という言葉も、原語は同じで、この言葉は「はらわたをかきむしられる」という深い心の動きを表す言葉です。イエスが示された「あわれみ」は、たんなる同情心ではありません。自分が相手の立場に立ち、その人と苦しみを共にすることを意味しています。イエスは、ご自分の心を人々にお与えになっただけでなく、人々の心をご自分の心としてくださるお方です。「深くあわれむ」、とか「かわいそうに思う」と訳されている原語は、良いサマリヤ人のたとえでも使われています(ルカ10.35)。

 また放蕩息子のたとえで、帰ってきた息子を認めた父親が「彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした(ルカ15.20)のです。

 「キリストを知る」ことは、「キリストの心を知る」こと、そして「キリストの心」は「あわれみの心」です。

 わたしは自分の部屋の机の上に、渡辺和子シスター「本当に大切なこと」という日めくりカレンダーを置いています。毎朝その日のページを開けています。説教作りをしている今日は、「ああそうだ、これをしよう、あの人のために」という言葉が大きく書かれています。そして「誰かのために何かできる。それは、他の動物にはない。私たち人間の特徴だろうと思います。誰かを生かし、誰かに生かされていることを忘れないようにしましょう」と小さく印刷されていました。

 わたしは先日、7月18日が、自分の司祭叙階の記念日でした。今年で司祭叙階から48年経ちました。今まで、たくさんの人の祈りで支えられてきたことを忘れずに、人のために祈ることと、イエスの「あわれみの心」をもっと自分のものにしていきたいと願っています。*(5)

 


渡辺和子著《前ノートルダム清心学園理事長》
『ほんとうに大切なこと』日めくり

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