先週の福音は、会堂長ヤイロの娘と長い間病気で苦しんでいた婦人の信仰がテーマでした。今週の福音はその続きで、イエスと弟子たちがイエスの育ったナザレに行った時の人々の不信仰の話です。イエスが故郷のナザレに戻り、会堂で教え始められた時、人々はイエスを見ようと会堂に大勢集まりました。イエスが話し始めると「この人は大工ではないか。マリアの息子でないかと言います。この「マリアの息子」という呼び方は差別的な響きがあります。当時は父権社会で「誰々の子」と呼ばれる場合は必ず父親の名前が当てられました。したがってここで「マリアの子」と呼ばれているのは、父親が誰かもわからないような人という意味なのです。それでイエスは、故郷の人々に「預言者は、自分の故郷、家族や親族の間では軽んじられるものだ」と言われました。故郷ナザレの人々はまだ少年時代のイエスのことしか頭にありません。そんなイエスがまさか神であろうとはどうしても信じられませんでした。まもなくパリ・オリンピックが始まります。旭川からは、女子やり投げの北口榛花さんが日本代表で出場します。もし彼女が金メダルを取れば旭川の有名人になりますね。子どものころからよく知っている人が有名になると、すぐに受け入れられない人も多いです。将棋の藤井聡太七冠やドジャーズの大谷翔平選手のようなレベルにまで行ってしまえばもう誰も羨ましいという気持ちを持ちません。イエスについての世間的評価がまだそんなに高くなかったから、ナザレの人々はやっかみや不信仰な見方をしたのだと思います。

 ナザレの人々はイエスのことを子どもの頃から知っていて、その先入観が強すぎて、今のイエスをありのままに見ることが出来なかったのです。彼らの不信仰は彼らに不利益をもたらしました。イエスはそこではほとんど病人を癒すことができなかったのです。しかし、この後イエスは弟子たちを2人ずつ組にして付近の町や村に宣教に遣わします。決して意気消沈していなかったのです。わたしたちはすぐ近くにいる人に対して神さまを伝えることが難しいと感じています。でも伝えようという意欲はいつも持っていなければなりませんね。

 先日、わたしは聞こえが悪くなって耳鼻科の医院に連れて行ってもらいました。すると単に耳垢が詰まっていただけでした。ある人に話したら、「うちのお父さんもこの前耳鼻科に行って、神父さんと同じように言われて帰ってきたよ。」と教えてくれました。老人になると、こんなことも起きるのだなと感じています。イエス様は「エッファタ」と言って耳の聞こえない人を癒しましたが、耳鼻科のお医者さんは耳元でガサゴソやって詰まっていた耳垢を吸引してくれました。いつまでも「神の言葉」をよく聞く耳を持っていたいものです*(O)

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〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
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