今日の福音の初めは、イエスがゲラザ人の地から湖を渡りカファルナウムに戻ってきた時に人々が集まっていて、会堂長のヤイロという人が自分の幼い娘が死にそうなので助けてほしいと願いにきた話から始まります。そしてイエスが会堂長の家に向かう途中で、重い病気で長い期間苦しんでいた1人の婦人が群衆の中でイエスの衣に触れて、病気を治してもらう話しが挟まっています。そしてイエスたちは会堂長の家で、もう亡くなっていた12歳の娘を生き返らせます。この時イエスが娘の手をとって「タリタ・クム」と言っています。この言葉はアラム語で「タリタ」は「少女」、「クム」は「起きなさい」の意味です。新訳聖書はギリシャ語で書かれていますが、「タリタ・クム」はイエスの話したアラム語がそのまま残されている箇所です。他にも(マルコ7.34、45.34)などにアラム語が残っています。

 わたしは「起きなさい」のアラム語が「クム」よりは「ムク」だった方が日本語にぴったりだと思いました。

 今日の二つの話の中で大切なのは「あなたの信仰があなたを救った」という福音書の中で何度か繰り返される言葉です。会堂長の家に着いてからも、「恐れることはない。ただ信じなさい」と言って娘を生き返らせられます。イエスはいつも、神が救ったとかわたしが救うとは言いません。大切なのはその人の信仰なのです。

 鈴木秀子シスターの「」という本に「祈りは大きな力を与えてくれる」という文章がありました。祈りは、何か自分が得をすることをお願いするものでもありません。祈りは当たり前のことがどれほどありがたいかを感じ、当たり前のことに感謝することです。私たちの望むとおりになるか、ならないかに関係なく、すべての出来事を受け入れる。そして、いいことも悪いことも同じだけ起こっている、わたしたちは「いいこと」も「悪いこと」も、すべてを含めて神さまの計らいの中で生かされていることに感謝すべきです。と書いていました。

 今日は6月30日です。ちょうどひと月前の5月30日は、五条教会でわたしがミサをする時にいつも車椅子を押してくれて、オルガンを担当してくれていたSさんが亡くなられた日です。神さまはどうして46歳の人をめされたのかと思いました。少し時間が経つと、この世に生まれる人がいれば亡くなる人もいるのが当たり前。Sさんの死も神さまの考えがあってのこと、と考えることができるようになりました。♪神のはからいは限りなく、生涯わたしはその中に生きる♪という典礼聖歌を思い出しました。信仰は神さまの計らいを信じてお任せすることだと思います。聖書の中にはイエスが「あなたの信仰があなたを救った」と言われる箇所がたくさんあります。ですから真剣に祈ってお願いすることは大切です。その時自分の願いどおりにならないことは、神さまのお考えがあるとおまかせできるのです。神さまはわたしたちの召使いではないので、願いどおりにならなくても受け入れていこうという気持ちにもなれます。熱心に祈ってお願いしましょう。祈りで何も変わらないと思えても、自分の心は確実に変えられていきます。*(5)

人はいつか死ぬのだから
ー小さな「気づき」は人生の恵み
鈴木 秀子著 PHP

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