先週の説教の時、わたしは持ち物を処分して、本はほとんど捨てて、衣類は自分の葬式のための修道服一着だけを残していると話しました。ところが先週の日曜日にお通夜があって、わたしはその時に着ていく服がなかったので、修道院からその修道服を持ってきてもらいました。五条教会で、わたしが車椅子になってから、いつも車椅子を押してくれて祭服を着せてくれていた方の葬儀があり、自分が棺桶に入れてもらう時のための修道服を着ることになりました。その方は46歳の若さだったので辛い別れでした。

 今日6月9日は、わたしにとって大切な日なんです。昭和41年(1966年)のこの日にわたしは「司祭になりたい」と神様からの召命を感じたのです。大学1年生の時です。下宿から大学に向かう坂道を上がっていた時でした。数日前にわたしは教会の図書室から「小さき花」というリジューの聖テレジアの自叙伝を借りていました。母親を亡くしたばかりの、テレジアがまだ5歳のころの思い出に、父親の魚釣りについて行って、その時に感じたこと書かれていました。「その日は私にとってすばらしい日でした。私は田舎のけしきや花や、鳥がとてもとても好きでした。‥‥わたしは花の咲きみだれた草の上にひとりで座って、黙想するとはどういうことかも知らないながら、まことの念禱に浸るのでした。‥‥わたしは風のささやき、おぼろげに聞こえてくる軍楽隊の調べなどが、わたしの心をおだやかに、もの寂しくさせました。地上は島流しの地にすぎないように思われて、天国が恋しくなるのでした。‥‥午後から食べた弁当のパンのジャムの色が変わっていることに、地上はもの悲しく見え、すこしもかげりのないよろこびは天国にしかないことを悟るのでした。」

 わたしはこのような文章を読んで、信仰を持つことはこうゆう見方や考え方をすることなんだと感じました。そしていずれ神さまのところに帰る人生をどう生きたらいいのかと考えていた時、神さまの一番喜ぶ生き方をしたいと考え、「そうだ司祭になろう」と思いついたのです。聖テレジアは15歳でカルメル会修道院に入ることができました。わたしは司祭になりたいと感じた翌年の3月に大学をやめて4月にはフランシスコ会の小神学校に入れてもらいました。そして29歳の時、司祭に叙階されました。

 今日の福音でイエスに反感をもつエルサレムの律法学者たちが、彼は悪魔に憑かれていると悪口を言いふらしていたので、イエスの身内の人たちがイエスを取り押さえようとしていました。イエスはアブラハムの子孫が皆神の民であるのではなく、神のことばを聞く者が神の民、新しい神の家族であると考えていたのです。このような新しい神の家族の考え方は、イエスの家族や身内の者にとって、受け入れていくのに辛い時期もあったと思います。

 わたしが神学校に入る時も、家族から始めてのキリスト信者だったし、司祭は結婚もできないことが、母親にとってはがっかりで心配だったみたいです。わたしは家族に迷惑をかけて神学校に入りました。家族の者はせめて大学を卒業してからにしてほしいと思ったようです。でもわたしはたくさんの方がたの祈りや援助を受けて、10年後に司祭叙階のめぐみを受けました。山本の家族から飛び出してしまいましたが、教会の新しい家族の支えを受けて支えられてきました。聖テレジアや天国から応援している人たちから見たら、ハラハラドキドキさせる情けない司祭かもしれないです。でも今わたしの出来ることを毎日真剣に務めていきたいと思っています。6月は御心の月です。聖テレジアは自分は教会の燃える心臓の中で愛になりたいと考えました。彼女はイエスの愛が無視されているので、それを慰めたいと考えていました。イエスの気持ちを考えてみることは、自分がもっと出来ることを見つけることにつながると思います。御心の月を大切に過ごしてください。*(Ka)

 

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〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
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