キリストの聖体の祭日は、本来、「三位一体の主日」の週の木曜日に祝われますが、日本では「三位一体の主日」の直後の日曜日に祝うようになっています。
「聖体の秘跡」に対して、教会はいつも最大の尊敬をはらってきました。主の生涯の出来事、誕生からご昇天まで祝ってきた教会は、主の形見ともいうべき人類に対する神からの恵み、愛の結晶である「聖体の祭日」を今日あらためて祝います。
「わたしの記念としてこれを行いなさい」との主の命令によって、「主の晩餐」の記念は初代教会から大切にされてきました。キリストの死という出来事が神に覚えられ、新たにされ、終末の成就が宣言されます。
「キリストの聖体」の祝日が定められたのは、聖体に対する信心が高まった13世紀のことです。教皇ウルバノ4世が1264年に教令を発布して、この祭日はローマ教会全体で祝われるようになりました。
初代教会から「パンを裂く」集いは、信徒たちにとって、キリストに出会い、交わり、生きる糧をいただく最も大切な神秘として非常に大事にされてきました。今日、教会は復活祭の季節をとおして記念したキリストの過越の神秘をあらためて、受け止めます。キリストの聖体の祭日は、教会が聖体と共に歩み、神に捧げられていくという姿勢を受け止めなおす日です。今日はキリストが偉大な賜物、聖体を与えてくださったことに、感謝と賛美を捧げる一日としましょう。
わたしは数年前にもう修道院での共同生活がほとんど無理と判断して、持っている荷物を処分しそれまで使っていた部屋を空けました。そしてその頃は、これから自分が教会でミサをして説教をすることなど考えられなかったからです。身の回りのものとわずかな本を残して、たくさん持っていた物を廃棄しました。その中にはスーツやローマンカラーなどの衣服もありました。もう司祭として外に出ることはないと思ったからです。でも修道服だけは棺桶に入る時に着せてもらうために一着残しました。捨てた本の中に教皇ヨハネ・パウロ二世の「教会に命を与える聖体」という回勅もありました。この回勅は、聖体こそ教会にいのちを与える秘跡であることを再確認していました。そして司祭が感謝の祭儀を行うにふさわしい態度についても示されていて、わたしが大切にしていた愛読書でした。わたしはこの本と共にもう一つ、「司祭の役務と生活に関する指針」という本も処分してしまったことを残念に思っています。この本には聖体やミサに関して司祭の心がけることなどが書かれていました。いまわたしの手元にある本で聖体に関しては、聖ヴィアンネの説教や教えが収録された小さな本があります。聖ヴィアンネは「生き物はすべて生きるために食物を摂らなければなりません。霊魂も食物を摂らねばなりません。みなさん神さまは霊魂にも食べ物を与えようと被造物を探しましたが、相応しいものが見つからず、ご自分を与えようと決意されました。霊魂の食べ物、それは神さまの御体と御血です」と述べています。また「聖体ほど偉大なものはありません。世界中のすべての善業を集めて、よく果たされた聖体拝領と比べてみれば、一握りの塵と山を比べるようなものです。」聖ヴィアンネは、それまであまり熱心にミサにきていなかったアルスの村人たちに、聖体の素晴らしさを話しました。また、「どんな善業を全部寄せ集めてもミサ聖祭には及びません。善業は人間の業であり、ミサ聖祭は神さまの業たからです」とミサの素晴らしさを説いています。わたしは最近の教会が司祭不足でミサがなくなってきていることを寂しく思っています。わたしたちがミサと聖体を大切にして、召命と教会の活性化のためにお祈りしましょう。*(O)
聖ヴィアンネの精神
聖母の騎士社 モンナン神父=著、久保守=訳
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〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
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