毎年、復活節第4主日にはヨハネ10章の羊飼いと羊のたとえが読まれます。この良い羊飼いの福音が読まれるこの日は毎年「世界召命祈願の日」と呼ばれています。この日は1964年に教皇パウロ6世によって定められました。この日は特に司祭・修道者への招きのために祈る日です。今年は第61回の「世界召命祈願の日」で今年の教皇メッセージは「希望の種を蒔き、平和を築くよう呼ばれて」と言うテーマです。

1964年はわたしが初めてカトリック教会と出会った年です。この年は昭和39年で、日本では東京オリンピックが開催されました。わたしは翌年の1965年4月18日に洗礼を受けました。先日の木曜日がわたしが洗礼を受けた59回目の洗礼記念日でした。
教皇フランシスコは2013年の聖木曜日の聖香油のミサの時に、ローマ市内の1600名の司教と司祭たちに、羊の匂いのする牧者になってほしいと話されました。めぐみの仲介者とならない司祭は、単なる管理者になってしまい、彼らは感謝されることが少なく不機嫌な司祭となります。わたしは59年前の自分の洗礼の頃からたくさんの司祭たちのお世話になってきました。祈ることを教えてくれた立派な司祭たちをたくさんみてきました。教会に多くのいい司祭と修道者を与えてくださいと祈りましょう。

2019年に東京ドームでミサをした時、教皇フランシスコは「教会は野戦病院のようでなければならない」と発言されました。それは大きな建物を敷地に構えて.「興味ある人はここへ来なさい」という教会のあり方ではなく、いま苦しんでいる人々の真っ只中に出て行って、困っている人たちを直接癒すような役割を教会が果たしていくべきだという考えです。自分の安全地帯にしがみつく教会よりもイエスの命を差し出すために出向いていきましょう。と言われました。わたしは最近の教会が日曜日には開きますが、いつでも扉が閉まっていて、お祈りにも入られない建物になっていることを寂しく感じています。最近は、働き方改革と言う言葉をよく聞きます。わたしは教会の司祭にはこの考えを当てはめないで欲しいと思います。司祭はもっと働いて欲しいのです。最近は教会に司祭たちが住んでいないので、誰か死にそうな人がいたり、困った時に教会に電話しても留守番電話だったり、修道院の電話も留守電だったりします。教会が野戦病院ならいつでも開いていて、いつでも受け入れてくれることが大切です。困っている時にすぐ動いてくれる司祭が必要なのです。教会で働いている人たちには休みがあっても司祭は死ぬまで休みはないのです。良い羊飼いは羊のために自分の命をあたえる羊飼いです。羊のために自分の命をすり減らすよい牧者がたくさん与えられるように、そして司祭たちがこらからも元気に働いてくれるよう祈りましょう。*(O)

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〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
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