今日は主の昇天を記念します。本来は復活祭から40日後の先週の木曜日が昇天の日なのですが、日本では復活節第7主日の日曜日に祝われます。主の昇天は、栄光を受けたイエスが神の右の座に着く「天」にわたしたちの眼差しを向けさせると同時に、「教会の宣教」の始まりを思い出させるものです。復活したイエスは、天に昇る前に「全世界に行って、すべての造られたものに福音を述べ伝えなさい」(マルコ16.15)と弟子たちに使命に託されました。特別な知識や能力に恵まれたわけでもない素朴な人々のグループに託された使命はあまりにも大胆なものであり、聖霊である神が共にいてくれたからできたことです。
イエスは「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そしてエルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリヤの全土で、また地の果てに至るまで、わたしの証人となる」と言われました。こうして始まった使徒たちの宣教はやがて後継者らへと引き継がれ、イエスが使徒たちに託した使命は、時代を超えて今日もなお続いています。
昇天の時からイエスは目に見えない別の形でわたしたちのうちに現存しておられます。
わたしたちの間にイエスが新しい形で現存されるようになった今、主の昇天は、わたしたちがイエスと出会い、イエスを他の人々に証することができるようそのための目と心を持つようにと招いています。
今日の集会祈願には「主の昇天に、わたしたちの未来の姿が示されています。キリストに結ばれるわたしたちをあなたのもとに導き、ともに永遠のいのちに入らせてください」という言葉があります。わたしたちの行き着く先は天であることをしっかり確認しましょう。たとえ全世界を手に入れても命を失うなら虚しいのです。わたしはたくさんの人からお祈りを頼まれます。様々な悩みや心配、病気の苦しみがあります。自分が幸せですと伝えてくれる人はほとんどいません。わたしの周りには苦しみがいっぱいのように思えます。でも、行き着く先は天にあると考えるなら、この世の多くの悩みや問題は、単なる過越して行く障害物
になります。病気や死も、それがあってこそ新しいいのちをもらえる手段になります。いずれわたしたちはこの地上から去って行きます。わたしたちはこの地上を旅している旅人です。
ロザリオの祈りの栄えの玄義で主の昇天を黙想するとき、「この一連をささげて、わたしたちがこの世において神の国に連なるものとして生きることができるように、聖母マリアの取次ぎを願いましょう」と唱えて祈ります。たくさんのキリスト者が、主の昇天を深く考えて生きることができますようにと願っています。*(Ka)
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〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
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