今日は3月19日で本来なら聖ヨセフの祭日ですが、主日と重なったので、ヨセフ様の祭日は明日に移されています。四旬節第4主日は一年に二回あるバラ色の祭服を着ることのできる喜びの主日と呼ばれています。バラ色の祭服がないところでは紫の祭服が使われます。今日の入祭唱には喜べという言葉がなん度も使われています。また、今日のミサから教会での新型コロナによる規制から自由になったのでたいへん嬉しく思います。「全能の神と兄弟姉妹の皆さん」本当におめでとうございます。三年あまり、暗く静かなミサになっていましたが今日からは明るく元気よい教会に戻していきましょう。

今日の福音は生まれつきの盲人の癒しのはなしです。イエスは、通りすがりに目の不自由な人が道端で物乞いをしていたのを見て、この人の目に唾でこねた泥を塗り、「シロアムの池に行って洗いなさい」と言います。この人は言われたとおりにして目が見えるようになって帰ってきました。弟子たちはこの人が目が不自由なのは誰が悪かったからかと考えましたがこれに対して、イエスはこの人が生まれつき目が不自由なのは、「神のわざがこの人に現れるため」だと言います。過去ではなく、未来に視点を向けます。この盲人にとって必要なのは苦しみの原因を詮索することではなくこの盲人の目に光をもたらすことなのです。ヨハネ福音書の9章に「わたしは裁きのためにこの世に来ました。それは目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです」(9.38)。イエスはわたしは世の光です。わたしに従うものは決して闇の中を歩むことがない(ヨハネ8.12)。

イエスは目の不自由な人、足の悪い人、寝たきりの人、誰であろうと病人を癒すことは自分の使命のように考えていました。「医者を必要とするのは健康な人ではなく、病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」と言われています。わたしたちは自分が正しくてまともだ、間違っていないと思っている時、目が塞がれて見えていないことがあると思います。世の中の争いやいざこざなどは、みな自分が正しいと思っている人が起こしています。イエスに敵対したファリサイ派の人たちや権力者はみな自分たちは正しいと考えていました。わたしたちはもっと見えるようにしてくださいと頼みましょう。

そしてキリストの光のもとで、物事をはっきり見て、暖かい見方が出来るようになりたいものです。先日、知り合いの白内障の手術を終えたばかりの人から、お花がきれいに見えることと都会でも星空の綺麗なことを発見しましたと便りをもらいました。わたしたちの心にある白内障もイエスに治してもらいたいものですね。*(ka)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
Facebook&Instagramからもご覧になれます。

カトリック神居教会Facebook
https://www.facebook.com/kamui.Catholic/

カトリック神居教会Instagram
https://www.instagram.com/kamui_catholic/