先週から始まった待降節は、ラテン語でアドベントスと言い、到来あるいは来臨という意味です。救い主の来臨を待っていた旧約時代を記念して「救い主キリスト来てください」と願い、祈り、犠牲をささげます。また、救いの完成の時にキリストが再臨されることを信じ、希望し、「マラナタ」と祈る時でもあります。「マラナタ」とはアラマイ語で「主よ 来てください」という意味です。

数年前の待降節に教皇様は「待降節は、自分の生き方を見直し、キリストとの出会いに備える機会に」してください、と話されました(2018/12/2)。

キリストの第一の降臨はベトレヘムの馬小屋での誕生。第二の来臨は現に毎日絶え間なく実現していることで「いつもわたしたちの傍に現存し、愛と慰めを持って、ともに歩み続けてくださっていること」。そして第三、最後の来臨は「世の終わりに際しての最後の審判の際での出会い」です。最後の出会いの時にはわたしたちがどのように兄弟を愛したかが問われます。日々の生活の中で、弱い立場や小さな人たちのことをいつも考えている人はキリストに出会う生き方をしているでしょう。北海道はもうすっかり雪景色になり、みなさん冬に備え準備して来たと思います。寒さやコロナに対しては用意できていても、神様の前に出る準備はどのくらい進んでいますか?わたしは先日、ワールドカップの日本とスペイン試合を観ようと思って朝4時に目覚ましをセットして、テレビをつけてまた寝てしまいました。最初は負けていたので、そのまま寝てしまい、日本に二点目が入って大騒ぎしている時に目覚め、日本が2-0で負けたと思いました。せっかく早起きしても大切な時に眠り込んでいてほんとうに愚かな人間だなって思いました。

今週の福音書のテーマは「悔い改めにふさわしい実を結ぶ」ということです。洗礼者ヨハネは「良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」と言いました。よい実は何かと言いますと、わたしは、霊の結ぶ実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。(ガラテア5.22)とパウロが書いている箇所を思い出しました。またよくない実はパウロは「肉」の業として姦淫、わいせつ、好色‥‥争い、そねみ、怒り、利己心‥‥などをあげています。居眠りが肉の業に入ってなくてよかったです。*(O)

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〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
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