今日の福音でイエスは、永遠のいのちを得るために何をすれば良いのかと訊いてきた青年に、「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え」という掟をまもるように、さらにこの青年を慈しんで「あなたに欠けているものが一つある。行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。」と言われます。これは意地悪ではなく、この青年がお金持ちだったから言われた言葉です。

先日、わたしが今お世話になっている施設に新しく入居してきた方がいました。わたしはてっきり、どなたかが亡くなったので、一人分の空きができたのだと思いました。ところがそうではない事情で一人分の空きがでたそうです。わたしの入っている施設は、人生の最後の住処になるところです。ここから先は神様のところに転居するしかないのです。病気なら病院に入ればいいのですが、病人ではない介護の必要な人はグループホームのようなこういった施設が頼りになります。ここでは神様に呼ばれるのを待つだけなので、いま自分のできることをしっかりと行い、悔いのない人生を送らなければなりません。皆さんが自分の人生の最後が近いと考えるなら、ほんとうに大切なこと、自分が心の底から気にかけていることに意識が向うはずです。わたしたちの目指すべき目標は神の国の「永遠のいのち」です。イエスはそのためにこの世に遣わされました。

先日、青山俊董という曹洞宗の尼さんの書いた「さずかりの人生」という本を読みました。その中で、この方が乗ったらタクシーの女性ドライバーが親しげに話しかけてきて「私は車が大好きで、車に乗っているとストレスが解消するんです。二つ三つ就職もしてみたんですが、どれもうまくいきませんでした。車がわたしの性に合っているんでしょうね」と言ったので、筆者が「それは違う。性に合うということではなく、わがままにすぎないと言えるのではないか。車の中は小世界。主人公はあなた。相手は機械。文句なしにあなたの言う通りになるでしょう。しかしそれではあなたは人間として成長しない。一人の人間として成長するためには、あなたの気に入らない人、あなたが一歩譲らなければならない人、そういう人の中に身をおかないと精神的に大人として成長しないと思うよ」と話したそうである。女性ドライバーは真剣に耳を傾けていたが、ハッと思い当たるものがあったらしく、心に何か決するものがあるかのような目の輝きに変わっていた。

わたしは、青山俊董さんという尼さんはタクシーの中でもずいぶんと立派な話が出来る人なんだと思いました。

しかし、人が生き方を変えることは並大抵のことではないと感じます。わたしたちがサッパリ変われないのは、口先だけの生ぬるさがあるからだと思います。先日、自民党の総裁選挙で新しい内閣が誕生しました。菅内閣の支持率が下がり、このまま総選挙をすれば、自民党が負けるので、一度菅さんのガス抜きをするため、新しく岸田内閣が誕生しました。しかし内閣支持率は思ったほど上がらず、株価も岸田政権発足後も下落が続いています。派閥相乗りの岸田内閣は麻生さんや安倍さんの影響力がまだ残り、表紙を変えただけで信用できないと警戒する人がまだまだ多いようです。自民党が本当に変わるには、一度選挙に負けるくらいの厳しい洗礼が必要かもしれません。

ところでキリスト信者は既に洗礼を受けています。日々これでいいのか、神さまはこんな自分に満足してくれるだろうかと自分を顧みなければなりません。

イエスは貧乏人の私たちには、財産を処分してついてきなさいとは言われないでしょう。一人ひとりが、わたしが出来ることは何か、自分のなすべきことは何かを考えてみましょう。 *(5)


さずかりの人生-欲の真ん中に自分を置かない生き方
青山 俊董(著)