今日は復活節第4主日です。昨夜ニュースを見ようと思ってテレビをつけたら、3回目の緊急事態宣言を出すことになり、ずっと菅総理がテレビに出っ放しで、それを観ていて腹が立ちました。ワクチンの接種が早く終わった国では、もうマスクなしで外に出たり、学校が始まったりしているのに、日本はオリンピックだけはどうしてもする姿勢で、国民の命を守ることにはほとんど手をつけて来なかった気がします。
説教で、国に対する不満を話しても神さまに叱られます。
毎年、復活節第4主日は、ヨハネ福音書10章の羊と羊飼いのたとえが朗読されるので、「良い牧者の主日」と呼ばれ、よい牧者の召し出しを願う世界召命祈願の日にもなっています。
今年の世界召命祈願の日の教皇メッセージは「聖ヨセフーー召命の夢」というテーマでした。教皇は、聖ヨセフは、実に偉大でありながらも、「わたしたちそれぞれの人間的境遇にきわめて近い」人物でもありました。召命はどれも、単なる犠牲ではなく、その成熟である自己贈与から生まれます。司祭職や奉献生活においても、こうした種類の成熟が求められています。聖ヨセフにとって、奉仕という自己贈与の具体的表現は、日常生活を量る物差しとなっていました。教皇は、「わたしは、イエスと教会の守護者である聖ヨセフを、召命の守護者と考えるのが好きです。実際、奉仕への意欲から、ヨセフの保護への思いは生まれています。」と述べています。
わたしは高校3年生の時、洗礼を受け、この年まで多くの司祭のお世話になってきました。黙想会や話を聞いて感銘を受けた司祭や、すぐ近くで生活を見て、見習いたいと思った素敵な司祭にもたくさん出会いました。また、言うことは聞いても彼の行いを見習ってはダメだと言われた司祭もいました。神学校時代には博士号を持っている学識のある司祭にもたくさん接しました。
以前教皇フランシスコは、ローマ教区の多くの司祭たちが集まったミサの中で、教会の司祭は、羊の匂いがする羊飼いでなければならないと話されました。羊の匂いがつかないほど羊との距離を置いている牧者は寂しいです。愛についてたくさん語るより、愛が感じられること。祈りについてたくさん語るより、祈っている司祭の方が素晴らしいです。近ごろは誰かが危篤になって司祭に来てもらいたくても、教会は留守番電話のことが多くなりました。司祭は羊と離れたところで生活しています。羊のためにいのちをかける、雇い人でない、よい羊飼いが増えて欲しいです。司祭や聖職者のために祈ってください。
わたしの尊敬する何人かの司祭は、みんな優しい温かい感じの神父さんでした。またよく祈っている人でした。
牧者である司祭が幸せで、喜びや愛が満ち足りている人だったら、周りの人にも幸せを届けてくれます。
もう少しいい神父さんが欲しいと思ったら、祈るしかありません。聖ヨセフを通して、司祭がほんとうに大切なことに気づいてくれるように祈ってください。