今日は年間第2主日です。先日、NHKの「チコちゃんに叱られる」の番組で、「年をとるとどうして時間が早く感じられるのか」ということを放送していました。それは年をとるにつれてときめきがなくなるからだそうです。つまり、新しい体験を感じなくなるからのようです。そんなわけで、わたしは、今日がもう20日で年間第2主日ということに、本当に時が経つのは早いと感じています。
今日の福音は、ヨハネ福音書のカナの婚礼の話です。ヨハネ福音書にはイエスの7つのしるしが書かれていますが、その最初のしるしがカナで行われた今日の話です。イエスは弟子たちの前で最初のしるしを行ない、その栄光を見て、弟子たちが主を信じました。ヨハネ福音書は、イエスの母と書きますが、マリアの名前は出しません。イエスの公生活の二つの重要な時、すなわちその初め(カナの婚礼)と終わり(十字架)にイエスの母がそこにいたと記されています。今日のカナの婚礼の箇所は、ロザリオの祈り、光の神秘の第2連目で黙想する箇所です。わたしはロザリオの祈りでこの場面を考えることが好きです。イエスはマリアのとりなしに応え、水を上等のぶどう酒に変えて、弟子たちの信じる心を開きました。マリアはただ婚礼のお客さんでそこにいただけでなく、ぶどう酒の不足にいち早く気づく細やかな心を持っていました。マリアは「ぼーっと生きていた人」ではなかったのです。ささやかなことに気づく敏感な心と細やかさがあったことは、生きていく上で厄介なこと傷つくことも多かったはずです。マリアはいいことにも嫌なことにも敏感で、その両方を受け止めていく「包容力」の大きい女性でした。イエスは、「ぶどう酒がなくなりました」というマリアの言葉に「わたしの時はまだ来ていません」と答えます。これは、イエスが人々の要求に従って働かれるのではなく、神の時に従って働く方だったからです。「わたしの時」とは神の御子として栄光を現わす時を意味しています。マリアは召使たちに「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言います。彼女は問題をイエスによって解決しようとしました。それはイエスが問題を解決ができる方だと信じていたからです。問題がある時、イエスのところに持って行くことが祈りの最初の段階です。わたしたちは問題が発生すると誰のせいだと言いながら互いに非難しがちです。しかしそれは問題の解決には何の役にも立ちません。問題はまず、イエスに持って行って祈らなければなりません。また、マリアはイエスの拒絶にあってもイエスに信頼しイエスの時を待ちました。またマリアは、召使たちに指示を出し最善を尽くしてイエスが働かれる環境を作りました。
ヨハネ福音書で、7番目のイエスの最後のしるしはラザロの生き返りでした。しかし、イエスの最も大きなしるしは、最後の晩餐の時です。カナでは水がぶどう酒に変えられてイエスの栄光が示されました。最後の晩餐ではぶどう酒がイエスの御血に変えられもっと大きな栄光が示されました。ミサにあずかる度ごとにわたしたちはご聖体のイエスに出会えることを感謝しましょう。マリアは召し使いたちに「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言いました。わたしたちも神のみ言葉を聴いてそれに従いましょう。*(6)
パオロ・カリアーリ(ヴェロネーゼ)
《カナの婚礼》1562-1563年
・1798年、ルーヴル収蔵