今日もご聖体に関する話です。年間第17主日から読まれているキリストのパンについての話は、「わたしは、天から降って来た生きたパンである」との今日の福音で、いよいよその核心に触れ、頂点に達します。今日の福音には『わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる』という箇所があります。食べるという言葉は、動物が草を食べる時に使われる言葉だそうで、日本語で言うなら、さしずめ、もぐもぐ、むしゃむしゃ音を立てて食べるといった言葉だそうです。また、肉という言葉も実際に肉体をさします。血を飲むことは当時の律法で厳しく禁じられていました。ですからイエスのこの発言は、ユダヤ人にとっては聞くに耐えないひどい言葉だったのです。この話で多くの弟子が「実にひどい話だ。だれがこんな話しを聞いていられようか」とイエスのもとから離れていきます。イエスは皆の理解を超える話しをしましたが、これは、最後の晩餐で制定される聖体の秘跡を頭においた発言でした。パンとぶどう酒の聖体の秘跡を定めた後、イエスは新しい過ぎこしのいけにえとして死に向かわれました。

「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる…わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる」とは、主との交流、交わりについての美しい言葉です。聖体の秘跡は、食事をする側のわたしたちが、イエスに摂取されイエスの体になる食事です。これはまさに信仰の神秘です。

みなさんは子供たちに人気のあるアンパンマンはご存知だと思います。アンパンマンは空腹の人、困っている人に、自分の顔を食べさせます。作家のやなせたかしさんは従軍経験があり、正義という名の戦いが、いかに信用しがたいものかを痛感し「究極の正義とはひもじいものに食べ物を与えることである」と感じたそうです。自らを食べ物として差し出す自己犠牲こそがアンパンマンのヒーロー性を支えているようです。

わたしは先日、3日間の夏休みをもらい、帯広と伊達のカルメル会修道院に行ってきました。以前、帯広の十勝カルメル会修道院を訪問したとき、シスター方は帯広名物のぶた丼をまだ食べたことがないと聞きました。それで、豚丼のお店に予約しておき、人数分の豚丼を届けました。(カルメル会は普段はお肉を食べない。でも、もらった肉は食べることができる)。後で、「初めていただき、たいへん美味しくて感激しました。」とメールをもらいました。その時もう一つ面白いものを届けました。それは「馬鹿カルパス」です。これは競走馬の産地、日高地方の道の駅で売っていて、包装に馬と鹿の絵があり、「馬肉と鹿肉入り」、「身を削ってご奉仕します」「まじうまいっす」と書いてあります。(ネットでも買うことができます)。3日間の休みが終わり旭川に戻ったら、ある方から手紙が届いていて、その中に、「何かの足しにしてください」とお小遣いが入っていました。神さまはすごいと思いました。豚丼に使った以上の金額でした。みなさんも、ぜひ自分自身を与えたキリストに倣い、身を削って他人を喜ばせることをやってみてください。神さまはちゃんと考えてくれますよ。(*6)