今日は教会の創立記念日ともいえる聖霊降臨の祝日です。ルカは使徒言行録の中で、五旬祭の日に約束されていた聖霊が遣わされ、その時から教会が外に向かって活動を始めた様子を伝えています。わたしは、聖霊降臨の時に使徒たちとともにイエスの母マリアがその場におられたことをうれしく思います。5月は聖母月です。聖母はいつもイエスのそばにおられ、イエスの受難の時も、教会が誕生した時も傍らにおられました。母親は何をして何を言うかより、そこにいることが重要です。母親の暖かさとそこにいるという存在感が、人が成長していく上で大切なことです。キリストの教会にマリアがいることで、教会は弱い人間の拠り所としての安心感とくつろぎを提供してくれる場になります。わたしたちはマリアに親しみもっとマリアに近づきましょう。そうすればもっと深みのあるキリスト者に成長できると思います。神に近づくために、聖母や聖人たちと親しくなることも大切です。ある司教様は、自分のお得意さんと言える聖人をつくり、その生涯をよく学びそのお取り次を願うことも大切なことですと言っておられます。
心を一つにして祈っていた教会に聖霊が降りました。祈りがなければ神との関わりがうまれません。祈りのないところに聖霊が降りません。祈りはテレビや携帯電話の電源を入れるようなものです。電源が切れていれば何もおこりません。祈りで神とつながり、さらにもっと親しくなるために聖霊の助けを受けましょう。聖霊はキリストの霊です。霊というと霊魂とか魂と考えてしまいますが、元はギリシャ語の風とか息を表すことばです。聖霊はイメージするのが難しく分かりにくいお方です。しかし、空気や水のような役割をはたし、わたしたちにも教会にもなくてはならないものです。イエスは聖霊を真理の霊とか弁護者とか言っています。
第2朗読でパウロは、ガラテアの教会の人々に、霊の導きに従って歩むことを勧め、霊の結ぶ実として、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制をあげています。 今の季節、庭や畑に花を植えたり種を蒔いたりする人が多いと思います。私たちの心に、霊の結ぶ実の種をまいてはどうでしょうか。できれば、自分にない徳の種を蒔き、祈りによって水を与えて良い実りを期待しましょう。九つの霊の結ぶ実のどれか一つを自分の重点目標にして、毎年一つの実をつけさせれば、9年経つと立派な人間になれそうですよ。
今日は大祝日のサービスで、聖霊について少し楽しい話をします。イエスが洗礼を受けたとき、天が開け聖霊が鳩のようにイエスの上に降りました(ルカ3.22)。ある牧師は、説教のテーマにこの箇所を選び、聴衆の度肝を抜き、生涯わすれられない説教をしたいと考えました。その教会には説教台の上に小部屋があり、そこから鳩を飛ばし、その説教の時に自分の肩に鳩をとまらせるという演出を考えました。何度も練習を重ね、いよいよ本番のとき、彼が「そのとき、天が開け聖霊が鳩のように…」と言いましたが鳩が降りて来ません。彼はさらに声を振り上げ言います。三度目に言ったとき、小部屋のドアがかすかに開き、寺男の小さな声が聞こえました。「牧師さま、ネコが聖霊の鳩を喰ってしまいました。鳩の代わりにネコの奴を降ろしましょうか?」