今日はGWの最後の日なので、みなさんお疲れだと思います。昨日はこどもの日でした。こどもの日は1948年に制定された国民の祝日で、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことが趣旨になっている祝日です。こどもの日は母に感謝する日だったのです。今年の連休、わたしのところには何人かのお客さんがありました。4日の夜には二人の青年が神居の修道院に泊まりました。彼らは3日の夜に仙台からフェリーに乗り、4日の昼に苫小牧につき、夕方旭川に来て一泊し、帰りは富良野から日高方面に抜けて苫小牧まで走り5日の夜のフェリーで仙台に戻る計画でした。一人の青年が、わたしに「母からのお土産です」と届けてくれた紙袋はとても重く、中には仙台のお菓子の他に、1ℓパックに入った豆乳と野菜ジュースのパックがたくさん入っていました。わたしの健康を気遣ってくれていて、女性らしい愛情表現だと思いました。男親ならこんなお土産は持たせないと思います。5月は聖母月です。マリア様はわたしたちキリスト信者の母です。また教会の母です。マリア様は母としてわたしたちのことを気遣ってくれています。ルルドやファチマでは、ロザリオを祈るように勧めています。世界各地のご出現は、病人を癒すためではなく、人々の魂の救いのために何をすべきかを教えるためでした。
今日の福音のテーマは互いに愛し合いなさいです。わたしたちの周りには、親子の愛、夫婦の愛、兄弟愛、恋人同士の愛など、愛がたくさん見受けられます。わたしたちはこういった愛の中に、お金や物によって決して得ることのできない喜びがあることを体験的に感じています。でもその愛を少ししか感じられない人も多くいます。わたしたちがイエスのように人を愛していけば、世の中にもっと愛が増えていきます。イエスは「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」と言われました。わたしたちはもっと深くイエスと出会い、イエスのことを知る必要があります。
先日、渡辺和子シスターの遺品から見つかった原稿と「最後の日々」をつづった「あなたはそのままで愛されている」という本を買いました。その本の中でシスターは、自分は母親からはきびしく育てられたが、きびしくても愛情があるとき、こどもの心はそのたいせつな部分を見抜いていく。いまのものわかりのいい親たちはこどもの機嫌をとったり物を与えることで、親の役割を果たしていると勘違いしている。どんなときでも人生を力強く歩むことのできる人は、幼時に母親の愛情を豊かに受けた人です。こどもの幸せのために犠牲をいとわない母の愛ほどありがたくしあわせなものはない。と書いていました。渡辺シスターは母親から「人間の大きさは、その人の心を乱す事柄の大きさなのだよ」と言われたそうです。この言葉が、折りあるごとによみがえり、わたしに事柄の大きさを考え、つまらないことに自分の時間とエネルギーを費やしてはもったいないと思う習慣をつけてくれました。とも書いていました。みなさん、それぞれが自分の人生の本当に大切なものは何かと考えてください。キリストは人の救いのために来て、大切なことは、神と隣人を愛することででると教えてくれました。その点をしっかり押えておくことが大事です。