今日から始まった四旬節は、聖木曜日の「主の晩さんの夕べのミサ」の前まで続くことになっています。四旬節には三つの特色というか、目的があります。第一は約6週間かけて復活祭を準備します。復活祭は大事なお祝いなので準備にも長い時間をかけます。第二は、洗礼志願者たちにとって特別な期間になります。洗礼を希望する人たちは、この期間に、教会共同体とともに洗礼の準備をします。第三は、信者たちがすでに受けた洗礼の恵みを新たにする期間です。
先日、司教館から「四旬節・聖なる過越しの三日間・復活節の典礼に関する補足事項」という文章が送られてきました。この文章は昨年の12月の臨時司教総会で承認されたもので、日本カトリック典礼委員会・委員長・梅村司教の名で送られてきました。これには、四旬節から復活節までの典礼を執り行う上で、あらためて確認し徹底しなければならないことが書かれていました。その中には、旭川地区でも新しく取り入れなければならないこと、見直ししなければならない内容も含まれていました。最初に、日本の教会の適応として「四旬節中に祭壇に花を飾ること」が書かれていました。また、灰の水曜日と灰の式については、「灰の式は、キリスト者が復活祭を迎えるために回心の歩みを始めることを四旬節の最初の日に示す式である。そのため、灰の水曜日以外の日に行うことは典礼上、勧められない。」となっていました。また復活節が終わると復活のローソクは香部屋かしかるべき場所に片付けることなども書かれていました。旭川では灰の式は、日曜日に受けることができたので、灰の水曜日のミサに無理してミサに行くとはないと考える人が多かったと思います。いままでずっとそうだったからオーケーではなく、教会がしてきたことも、より典礼の精神に沿うように見直していかなければなりません。
今日の福音は、イエスが当時の熱心なユダヤ人たちが行っていた、施し、祈り、断食について、「ちょっと待ってください。皆さんのやっていることは少し変ですよ。」と見直しを迫っている箇所です。大切なことは、人にどう見られるかではなく、神さまにどう思われるかなんです。以前、灰の水曜日に、教皇フランシスコは、四旬節は、わたしたちを目覚めさせ、しびれや惰性に流されて進む慣れから抜け出して頭をはっきりさせるためにありますと説教されました。良い祈りをしてください。断食するときは、自分のダイエットのためではなく、それで浮いたお金を他の人のために使ってください。施しは神からすべてをただで受けたことを考え、所有欲からの解放につながると考えてください。修道院のわたしの隣の部屋に、先日亡くなられたローター神父様の荷物が少し残っています。この世から去る時に、最後は何も持っていけません。
これから行う灰の式で、わたしは皆さんに「あなたは塵であるから塵に還っていくのです」と言って灰をつけます。皆さんは「心の中でハイそうなのです」と思ってください。そうすれば本当の「はいの水曜日」になります。
修道院・神居教会中庭