今日の福音はルカ福音書から「マリアへのお告げ」の箇所が朗読されました。新約聖書で紀元51年から65年の間に書かれたパウロの手紙には、聖母について何も書かれていません。約65年ころに書かれたマルコ福音書もマリアの人柄についてはほとんど触れていません。それから15年後に書かれたルカ福音書は最初の2章でイエスの母マリアについての尊敬に満ちた記事を書き残しています。65年からわずか15年間のマリアに関するこのような変化は、その頃、聖母はすでに地上の生涯を終えられ、信者たちの間には救い主の母、聖マリアに対する尊敬が高まっていたと思われます。またルカが福音書を書いたころ、キリストはご復活あるいは洗礼の時に初めて、いわゆる養子縁組によって、神の子とされたという思想が主張されていました。ルカは、キリストは地上の生活の初めから神の子であり、メシアであったと教えるために聖母マリアへのお告げを書いています。ルカは、キリストが長いあいだ預言され期待されていた救い主であることを強調しています。
最近はお告げの鐘をならす教会や修道院が少なくなりました。わたしが前にいた留萌教会では、お告げの鐘が潮風にやられてモーターがダメになりました。それで、長崎から業者を呼んで修復してもらいました。今は、除夜の鐘にさえうるさいと苦情が出る時代です。お告げの鐘も一度止めてしまうと「騒音だ」「うるさい」といわれて復活できなくなります。
教会には昔から一日に3回唱える「お告げの祈り」の伝統があります。これは神が人となられたことを思い出す祈りです。クリスマスは神が人となられたことをお祝いする日ですが、お告げの祈りを唱えると一日に3回クリスマスを思い出します。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と聖母はこたえています。そんな大変なことはすぐには返事できないので親に相談してきます。婚約者にも相談して意見を聞くのでちょっと待ってくださいともいわず、神様が望むならそうなりますようにという返事は本当に信仰者の態度です。わたしたちはお告げの祈りのたびに、神のみ旨を大切にしているかどうかを反省しましょう。
昨年12月30日に亡くなられた渡辺和子シスターは、「マリアはお告げを受けた後、すぐに山里に向かいエリザベトのもとにいらした。その時に既にマリアのご胎内にはイエスが宿っていらした。わたしたちもイエス様を自分の体の中に受け入れて、人々のもとにすぐに発っていかないといけないのだ」ということを、洗礼を受けてからずっと考えてきた。と書いています。自分を必要としている人のところに赴いていくことがマリアと同じように生きることの一つの道になります。わたしたちキリスト信者は、それぞれが置かれた場において、神の救いの計画の一端を担うように求められています。聖母は先のこと、詳しいことは解らなかったけれども、信仰に基づく「はい」の返事をしました。自分を神のみ手にゆだねる「はい」の返事でした。マリアはすべてを心の中に納めておられた方です。マリアのように生きることは、神のなさることには間違いがないという信頼、委託、従順、謙遜そういうものが働いて、すべてを心の中に納めて生きることだと思います。