3年前の四旬節第3主日に、わたしはどんな説教をしたのか調べてみました。そうしたら、『4月から消費税が上がります。先日、ドラッグストアに行ったら、「今がチャンス」と書かれた張り紙があって、買い置きできる消耗品など今のうちに買っておきましょう、と勧めていました。「今がチャンス」とか「値上がりする前に」と言われると、なんとなくじっとして居られなくなります。四旬節なのでこの際、告白場のドアにも「今がチャンス」と貼ってみたくなりました。』と書いていました。消費税が5%から8%に変わって、もう3年経つのですね。

今日の福音は、イエスとサマリアの婦人の話です。教会は、洗礼志願者がイエスとの出会いを深め、信仰の決断をするのを助けるためにこの福音を選んでいます。

イエスは旅に疲れて、サマリアのヤコブの井戸のそばに座っていたとき、水を汲みに来た一人の婦人に自分の方から声をかけます。そして、「この水を飲む者は誰でもまた渇く、しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」と言います。女は「主よ、乾くことのないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」と言います。福音の朗読では読みませんでしたが、イエスはこの婦人に「あなたの夫をここに呼んできなさい」と言います。「夫はいません」と答えた婦人に、「あなたには5人の夫がいたが、いま連れ添っているのは夫ではない」と言います。このことがこの婦人にとって大きな問題だったことがわかります。彼女は5回も6回も結婚がうまくいかず、心が満たされていなかったのです。彼女は人目を忍んで、ほとんどの人が出歩かない昼の暑い時間帯に水汲みに来ていました。しかし、イエスの話に引き込まれ、やがて自分はメシアに出会ったと感じ、水瓶をそこに置いたまま町に行き、人々にイエスのことを知らせに行きました。わたしたちは、多かれ少なかれ、孤独や空しさを紛らわし、渇きを満たしてくれる自分の「サマリアの井戸」にはまっているかもしれません。たとえば、趣味や買い物、グルメや仲の良い友達とのおしゃべり、しかし、それらは根本的にわたしたちを満たしてくれません。キリストと出会うなら自分の心に泉がわいてくるようになり、心の渇きは満たされていくのです。

イエスが「水を飲ませてください」と言ったことは、多くの聖人たちの生き方にヒントを与えました。聖マザーテレサは「イエスの渇きこそは、神の愛の宣教者会の存在目的であり、すべての活動の目的なのです」と彼女の霊的遺言の中で述べています。聖アウグスチヌスは、「飲みたいと水を求めた方は、この女の信仰に渇いておられた」と言いました。小さき聖テレジアは「イエスさまには愛がとてもお入用なのです。渇き切っていらっしゃるので、喉を潤すたった一滴の水でもいいからと待っておられます」と手紙に書きました。この聖人は「イエスの渇き」に応える細やかな気遣いを大切にしていました。わたしたちも、イエスの渇きに気づき、その渇きを満たすように努めましょう。イエスの渇きに気づくことで、わたしたちはもっとイエスと出会い、信仰が深められ強められていきます。