今日の聖書朗読のテーマは、神のみ心を生きようとする人にとって妥協はゆるされないということです。第1朗読では、預言者エレミアが神の言葉を語ったことによって、捕らえられた出来事が語られ、第2朗読には、イエスに倣って、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜きなさいという励ましの言葉があります。福音でイエスは、ご自分の受けるべき苦難と栄光への道を暗示しています。でも「わたしは地上に火を投じるために来た」とか「わたしは平和ではなく分裂をもたらすために来た」などの解りづらい言葉が出てきます。
以前、み言葉を分かち合う集まりに、両親についてきた小学生の男の子が、今日の福音の箇所を聞いて、「火は危ないから気を付けよう」と自分の感じたことを述べました。わたしはこの説教の準備の時、「この暑い時に火についての話か」と感じました。神の言葉は、いつ聴いても受け取り方が違ってきます。先日わたしは、ミサの中で、「ゆけ~ゆけ~行け地の果てまで~」という典礼聖歌を聴いて、『地の果ては、崖っぷちなので危ないなぁ』と思ったことがありました。
さて、今は、リオ・オリンピックの最中で、日本には、柔道、水泳、体操などの競技でたくさんのメダルがもたらされました。昨日からは陸上競技が始まっています。オリンピックに出る人たちはメダルを目指します。わたしたちキリスト信者が目指すメダルは、自分に与えられた人生を走り終え、神に出会うことです。今の季節はお墓参りに行く人が多いです。この世の中のことしか関心のない人たちは、「毎日毎日、自分は一歩ずつ墓場に近づいている」と考えるかもしれません。でも、わたしたちは「毎日毎日、自分は一歩ずつ天国の門に近づいている」と考えます。
この季節はまた、ふる里や行楽地に向かう人たちが多くなります。先日、ある信者さんが、「夏休みになって、孫が来て嬉しかったけど、帰ってもまた嬉しい」と言っていました。わたしたちが帰省するふる里は、神さまの懐です。そこでは神さまが、たくさんの聖人たちが、多くの親しい人たちが、わたしたちが帰ってくるのを待っていてくれます。わたしたちは洗礼によって新たに生まれ、一時的なこの地上の命ではなく、神とともに生きる永遠のいのちこそ大切であると分かりました。里帰りや親しい人を訪問するとき、わたしたちはお土産を用意します。何日か前、羽田空港第2ターミナルビルでベルトコンベアの故障が発生し、羽田発の航空機に遅れが発生して、手荷物を搭載できないまま離陸するというニュースがありました。この事故に巻き込まれた人は、帰省してもお土産がなくて迷惑したと思います。わたしたちが神さまのところに帰るとき、いちばん神さまが喜ばれるお土産は、その人の生き様ではないかと思います。強い信念をもち、生涯、神と隣人を大切にして生きることが、どんな成功、どんな業績よりも大切だと思います。キリスト者の香りがする人生を。
河野 進さんの詩より - 香り ー
[海に潮の香りが 山に樹の香りが みどりごに 母の乳の香りが 信徒に キリストの香りを]