先週は主の昇天を記念しました。わたしは先週、『テレビのお笑い番組「笑点」は50年続いている長寿番組です。でも主の昇天の方はもう2000年も続いて祝われています』と話したら、ある方から「神父様の説教にざぶとん二枚」とメールをもらいました。
今日は聖霊降臨の祝日です。今日の集会祈願では「教会の誕生にあたって行われた宣教の働きが、今も信じる民を通して続けられ、豊かな実りをもたらしますように」と祈りました。イエスは昇天の前、弟子たちに、「エルサレムに残り、父の約束を待ちなさい」と言われました。彼らは、イエスの復活を体験していましたが、まだ聖霊を受けていなかったので、教会とはなっていませんでした。聖霊降臨で、一人ひとりの上に聖霊が降り、聖霊によって変えられた人たちが集まって教会が誕生しました。聖霊降臨は教会の誕生日にあたります。そして、教会が最初に行なったことは、イエスについて語ることでした。わたしたちは教会の一員です。いつもミサに出て聞くだけの人でいるのではなく、一人ひとりが、自分がイエスと出会った喜びや信仰体験を語って宣教していかなければなりません。教皇フランシスコは「福音の喜び」という使徒的勧告の序文で、復活なしの四旬節を生きているような信者ではなく、イエス・キリストとの出会いによっていつも喜びを見出し、それを伝えていく信者になるように、と呼びかけています。わたしは時々、教会で「正義と平和」や「ピース9」のことなどを熱心に語る人たちを見ると、その熱意を、もっと喜ばしい話や、嬉しいニュースを伝えることに使っていってほしいと思うことがあります。
昨年の聖霊降臨の祝日に、教皇はミサの中で「世界は聖霊に満ちた人を必要としている」と説教されました。聖霊の結ぶ実は、愛・喜び・平和・寛容・親切・善意・誠実・柔和・節制です。わたしは、最近、いまの時代に、聖霊の結ぶ実を持つ人がもっともっと必要だと感じます。舛添東京都知事とお金の問題、三菱自動車の燃費のごまかし、東京オリンピック招致に使われたあやしいお金、アメリカの大統領候補の乱暴な発言など、世の中には、自分中心で身勝手な事やごまかしが多すぎるような気がします。でも考えてみれば、わたしたちもみな同じようなごまかしやデタラメをしているのです。
今日の聖書朗読で、福音では「父とわたしは、その人のところに行き、一緒に住む」。第一朗読では「一同が一つになって集まっていると」という表現があり、第二朗読では「キリストと一緒に苦しむ者は、キリストと一緒にその栄光を受ける」と言われ、「一緒に生きること」が強調されています。また、イエスは、「わたしを愛する人はわたしの言葉を守る」とか「わたしの掟を守る」と言います。また聖霊降臨の時、イエスの母マリアが、これから生まれる教会の母としてそこにおられました。一緒にいてそこに留まるためには、自分中心に好き勝手にふるまうことはダメです。相手の気持ちを大切に、さらに神のみ言葉や愛の掟を大切にしなければなりません。
聖霊はあらゆるものを活かす、まるで空気のような「いのちのいぶき」です。空気がなければあらゆるものが生きてはいけません。聖霊来てくださいと