皆さん新年おめでとうございます。少し前に、新しい年2017年が始まりました。わたしは、昔からこだわりをもって新年の真夜中のミサをしています。日本人は新年早々初詣に行きます。いまごろ各地の有名な神社仏閣では人が溢れているはずです。旭川なら上川神社あたりが混雑していると思います。わたしは、日本人の夜中でも初詣に行く習慣を教会が取り込むことは、日本の教会にとって大切なことだと思っています。

今日は「主の降誕」から8日目で、幼子にイエスという名がつけられたことを記念する日です。カトリック教会は1968年から教皇パウロ6世の呼びかけで1月1日を「世界平和の日」とし、戦争や分裂、憎しみや飢餓などのない平和な世界が来るように祈っています。今年、教皇フランシスコは「世界平和の日メッセージ」で、非暴力と交渉を通じて平和を求めるよう呼びかけています。教皇は、一週間前の全世界に向けたクリスマスのメッセージで、「戦争とテロ行為に苦しむ、イラクと、リビア、イエメンに一致と調和が戻りますように。アフリカの様々な地方の人に、ウクライナやコロンビアやベネゼエラ、ミャンマー・・・世界各地の子どもたちに平和があるように。幼子となられた神を観想するこの日、特に、飢餓や戦争、大人たちのエゴイズムによって喜びを奪われた子どもたちに平和を願います」と祈りました。

今日の福音はクリスマスの夜のできごとにわたしたちを連れ戻します。天使たちは「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、み心に適う人にあれ」と伝えました。ベツレヘムの飼い葉桶に集まった人達は、マリアとヨセフ、寝かされていた赤ちゃん、羊飼いたちの誰もが素朴な心で神のお告げを信じ受け入れた人たちでした。ミサの中の栄光の賛歌では「地には善意の人に平和あれ」と唱えていますが、今の時代、平和は人の善意ではなく、武力によって、強いものと同盟を結ぶことによって、あるいは核の力によって、または経済的繁栄によってもたらされると考える人が多くいます。これは福音とかけ離れた考えです。

昨日の朝、渡辺和子シスターが亡くなられました。わたしは昨年11月に、今年8月の旭川地区カトリック大会での講演依頼の手紙を書いていたのですが、その時すでに入院されていて、返事はもらえませんでした。もう何年か早く、カトリック大会での講演を依頼していたらと残念に思います。渡辺シスターのお父さんは、シスターが9歳の時、2.26事件で殺されています。渡辺シスターは、父親のことを「外国駐在武官として度々外国で生活した父は・・・勝っても負けても戦争は国を疲弊させるだけ、従って、戦争だけはしてはいけない。と考えていたため、戦争にひた走ろうとする人にとってはブレーキだった。」と書いています。平和は本当に大切ですが、作り出していくのはたいへん難しいことです。でも、わたしたちは祈ることができます。祈ることはわたしたちキリスト信者の大切な務めです。

今日から新しい一年が始まりました。人生は毎日の合計数に過ぎません。毎日のものの考え方や生き方によってどのようにも変わっていきます。日々の選択が大きな差となって現れてきます。毎日、よい選択ができる助けを願って、今年一年を大切に過ごして行きましょう。

gokoutan